能登半島でのボランティア活動-3
能登半島地震については被災から5ヶ月以上が経過し、報道もチラホラと言った状況になりましたが、多くのボランティアが整然と活動されたようです。
四季の庭のメンバーで超人的なボランティア活動をされておられる方がおり、皆さんの要望で活動報告会が行われました。地元の方々の協力と合わせて誰しも感銘を受けることと思います。
以下はその一部です。
■1回目 女性の活躍、女性は凄い‼️
シルバー人材センターの奧さん達からの提案で洗濯機を集めてくれました。自宅で使っていない古い物でも良いから洗濯機をお願いしたら、20台位の拠出が出来て人材センターのおじちゃん達が軽トラで集めてくれました。
更にリサイクルショップにお願いしたら「有るだけ寄付するから持っていけ〜」で、20台追加になりました。ショップのご主人は「停電で電気も無いだろうから発電機も寄附する」。
女性陣は「石鹸、洗剤、物干しハンガー、物干し竿、洗濯バサミ等」も子供会の役員さんが奔走してくれました。
■2回目 飲水、干し芋、餅などの物資
運び先は比較的被害が少なく道路がまともな石川県の加賀、小松、金沢になりました。そこから各地域への分配はアチラにお任せします。
今でも海沿いの輪島、珠州、能登までは行きたくても道路が凸凹で行けない。金沢市内は被害ないですが北側の能登半島はテレビで放送されている通り目を覆いたくなるくらい酷い状況です。早く復興を期待ですね。
■3回目 初参加の若者と一緒に
参加の若者は大型免許とトレーラー免許は持っていますが公道を運転するのは初めてです。
新人運転手の若者はトレーラー運転が面白いらしく、「もっと狭い道も走りたい、関西に行った事がない」との事で帰りは遠回りして帰ります。
昨夜は琵琶湖の東側を走って金沢に来ましたが、今日は琵琶湖の西側を走って京都に向かっています。京都から茨城県までは600キロ/8時間💨
■4回目
京都に着いたのでアトは高速道路を乗り継いで帰るだけ、迷う事もないのでもうチョイです‼️ 名神→東名→首都高→常磐道➡水戸まで。ジイは名古屋まで走って、
🔴東京までは元気モリモリの若者の運転、
🟢首都高は初めての運転では危ないので海老名SAからジイに変わり
🔴最後の常磐道の守谷SAから水戸市までの花道?の運転は若者に託します。
24時には帰宅してビールをグイッ🍺😋
■それ以降 大型観光バスの運転(支援者の送迎)
石川県に必要な「人・物・金」のうち過去は「物」を持って4回行きました。
(1月は水と食料など、2月はストーブと洗濯機、そして仮設住宅の基礎の杭)
4回とも36トンのトレーラーを運転していきました。
石川県に必要な「人・物・金」のうち過去は「物」を持って4回行きました。
(1月は水と食料など、2月はストーブと洗濯機、そして仮設住宅の基礎の杭)
4回とも36トンのトレーラーを運転していきました。
※ 36トンのトレーラーの豆知識も大変面白いのですが、残念ながら割愛します。
その後も撤去作業などを手伝いしてくれる約60人の高校生の送迎では、卒業前に「僕たち、私たちも少しでも役に立ちたい」との思い入れから仲間を募ってくれたそうです。
男性は車内泊、女性は仮設の宿泊施設泊。帰りは富山県高岡市の日帰り温泉で♨️汗を流し、ご褒美に提案された「ライトアップされた白川郷の合掌造り」までチョイと遠回りで23時に水戸市に到着。全員が爆睡していましたが、到着後、バスの車内を掃除してくれてシートベルトをきちんとセットしてあったので中々やるなぁとの思いでした。
※ これまでに茨木から能登まで6回も被災地入りしました。ボランティア活動のキッカケは2011年の東日本大震災で自宅が壊れてしまった時に、全国の沢山の方に支援して頂いたので恩返しです。